オランダ最大の都市アムステルダムで、毎年夏に開催される『プライド・アムステルダム』。「前編」ではメインイベントの「運河パレード」を、「後編①」では、「プライド・ウォーク」をはじめ期間中の主なイベントの紹介を、そしてこの「後編②」では、アムステルダムの「プライド」の歴史と「ホモモニュメント」を紹介する。

■現存する世界最古のLGBT活動団体「COC」

アムステルダムの「プライド」の歴史をひもとく前に、まずは「COC Nederland」(以下COC)を紹介しておこう。第二次世界大戦直後の1946年に設立されたCOCは、今でいう「LGBT」の権利を獲得するために活動してきた組織で、現存する世界で最も古いLGBT活動団体とされている。

COCは「Cultuur- en Ontspanningscentrum」の頭文字を取ったもので、直訳すると「文化及びレクリエーションセンター」という意味になる。オランダにおいても、当時はまだ、同性愛者の団体であることを公表して活動することははばかられる状況があり、カモフラージュ的な表向きの名称として付けられたのがCOCであった。その後、1964年からは同性愛者の団体であることを明らかにして活動するようになり、1971年以降は「Nederlandse Vereniging voor Integratie van Homoseksualiteit COC(オランダ同性愛者協会COC)」を正式名称とし、また、1973年にはオランダ政府の承認も得て、現在に至るまで、オランダを代表するLGBT活動団体として大きな役割を果たしてきた。

●「COC Nederland」公式サイト(英語)
https://www.coc.nl/engels

歴史あるCOCのロゴ。


■ストーンウォールとオランダ

1969年6月28日、アメリカ・ニューヨークで「ストーンウォールの反乱(Stonewall Riots)」が起こる。翌70年6月28日、ストーンウォール1周年の日に、ニューヨークをはじめ幾つかの都市で、「Gay Liberation(ゲイ解放)」を訴える大きなデモ行進が実施された。それがその後、アメリカをはじめ世界各都市に広がったプライドパレードの嚆矢となる。

ところが、オランダは、ストーンウォールの反乱の影響を直接的に受けることはなかった。というのも、ストーンウォール以前にオランダでは、規模はさほど大きくはないが、同性愛者の権利に関するデモ行進がすでに行われていたのだ。

オランダでは、1911年に道徳法の一部として刑法248条(性的同意年齢が異性愛者は16歳なのに、同性愛者は21歳とされるなど同性愛者にとって不平等な内容)が導入されていた。
1969年1月21日、ストーンウォールの半年前に、この不当な条文の削除を求めるデモ行進が、学生を中心にハーグのビネンホフで行われた(オランダで初めての同性愛者の権利に関するデモとされる)。その後、このデモや抗議活動の影響もあって、1971年に、刑法248条は削除される。

オランダでの2回目のデモは、1970年5月4日の「全国戦没者慰霊の日」に、アムステルダムのダム広場で実施された。その際、「Amsterdamse Jongeren Aktiegroepen Homoseksualiteit(AJAH)」(アムステルダム青年同性愛活動グループ)のメンバー2人が、戦争で犠牲になった同性愛者を記念するために花輪を置こうとしたところ、逮捕されてしまう。このことが後年、後述する「ホモモニュメント」の設置につながっていく。

このように、オランダ国内では、ストーンウォール以前に、すでにデモ行進が行われていたこともあり、また、オランダで最も影響力のあるCOCが、ゲイもレズビアンも「普通の人間」なのだから、あえてアメリカのように「Gay Pride March(プライドパレード)」を組織する必要はないという方針だったこともあって、すぐさまオランダで「プライドパレード」が開かれることはなかった。

しかしながら、その後、1970年代半ばにCOCが方針を変更したこともあり、1977年6月25日、オランダで初めてとなる「プライドパレード」がアムステルダムで実施され、約2,000人が参加した。これは、国内の状況に対して、というより、国際的な連帯、特にアニタ・ブライアント(アメリカの歌手)による反同性愛キャンペーンに対抗するものとして行われたという。

当初は「International Gay Liberation and Solidarity Day」あるいは「Gay Pride Day」と呼ばれていたが、1979年に「Roze Zaterdag」(Pink Saturday/ピンクの土曜日)と名称が変えられた。そして、1980年までは年に一度、アムステルダムで開催されていたのだが、1981年以降はアムステルダムに開催都市を固定せず、毎年、国内の異なる都市で順番に「ピンクの土曜日」は行われるようになり、現在も毎年6月に開催されている。ちなみに、2018年はチーズで有名なゴーダ(Gouda)で6月23日(土)に開催され、約10,000人が参加した。

●「ピンクの土曜日ゴーダ2018」公式サイト
https://rozejaargouda.nl

●関連サイト
https://www.youtube.com/watch?v=ofzsqEjPsUQ
http://www.rfgfotografie.nl/evenementen/?p=271

 

2018年、ゴーダで行われた「Roze Zaterdag(ピンクの土曜日)」のもよう。

 

また、2019年は、オランダとドイツの国境に近い街、フェンロ(Venlo)と、国境を越えたドイツの街クレーフェルト(Krefeld)が合同で、6月29日に実施することになっている。

●公式サイト
https://rozezaterdag2019.eu/nl/

●『Roze Zaterdag』公式サイト
https://www.rozezaterdagen.nl


■「運河パレード」の始まり

1994年、オランダの各都市を順番にめぐっていた「ピンクの土曜日」が、再びアムステルダムに戻ってくる。それに合わせて、この年、『ユーロプライド』(https://www.europride.com/en/)がアムステルダムに誘致された。『ユーロプライド』はヨーロッパ地域における「プライドイベント」で、92年のロンドンを皮切りに、93年ベルリン、94年アムステルダム……と、毎年、ヨーロッパ各国の持ち回りで開催されている。2018年はスウェーデンのストックホルムで開催され、2019年はオーストリアのウィーン(https://europride2019.at)で開催される。

94年のアムステルダムのユーロプライドは約67,000人が来場したが、残念ながら赤字となってしまい、運営面では失敗に終わってしまった。その影響もあってか、その後、アムステルダムのゲイシーンの魅力に陰りが見えはじめてしまう。そんななか、なんとか挽回できないかと、1996年に企画されたのが『アムステルダム・プライド』だった。レグリースドワルス通り(Reguliersdwarsstraat)にあったダンスクラブ「ハバナ(Havana)」のグループが企画し、雨の降る確率の最も低い8月の最初の週末に開催することにした。

この『アムステルダム・プライド』において最もユニークだったのが、現在まで続く「Canal Parade(運河パレード)」だった。「運河」という、アムステルダムの街にとって世界的にも有名な観光資源を生かし、装飾を施したボートに人が乗り込み、音楽に合わせて歌ったり踊ったりしてアピールをする。文字どおり「フロート」が、運河の上を航行する画期的なアイディアであった。初回となる96年は、45艘のボートが出場し、約20,000人の観衆が詰めかけた。この運河パレードは大成功を収め、『アムステルダム・プライド』の目玉イベントとなり、また、オランダの他の街でも実施されるようになった。

●1996年、最初の運河パレードの動画

 

1998年にはアムステルダムで、ヨーロッパ初となる「ゲイゲームズ(Gay Games)」が開催された(8月1日~8日)。ゲイゲームズは、4年に一度、開催されるゲイ(LGBT)のスポーツ総合競技大会で、言うなれば「LGBTのオリンピック」。まずサンフランシスコで1982年、84年に開催され、その後、バンクーバー、ニューヨーク、そして5回目となる98年のアムステルダム、その後、シドニー、シカゴ、ケルン、クリーブランドと開催都市が変遷し、2018年はパリ、そして次の2022年は、アジアで初めて香港で実施される(2022年11月12日~19日)。

98年のアムステルダム・ゲイゲームズは、29の種目が実施され、約14,000人の選手が参加した。同時期に開催された運河パレードへの動員は一気に増加し、約25万人の観衆が集まった。この年以来、現在まで、ボートの数は最大80艘と決められ、今では、約50万人以上が足を運ぶ、オランダ最大のイベントの一つになっている。

●「Federation of Gay Games」公式サイト
https://gaygames.org

 

1998年、アムステルダムで開催された「ゲイゲームズ」の様子。

 

2022年、アジア初となる『ゲイゲームズ香港』の公式ロゴ。

 

『アムステルダム・プライド』は、1996年から2005年までは「ゲイ・ビジネス・アムステルダム(GBA)」という団体によって運営されていたが、2006年からは「ProGay」と呼ばれる財団に引き継がれた。その際、『アムステルダム・プライド』という名称がGBAの登録商標であったため使用することができず、イベントの名称も『アムステルダム・ゲイ・プライド』に変更された。

その後、2014年からは「アムステルダム・ゲイ・プライド財団(Stichting Amsterdam Gay Pride)」が2019年までの運営ライセンスを譲り受けることになった。そして、「アムステルダム・ゲイ・プライド」という名称については、「ゲイ」という言葉では参加者の多様性を反映できなくなってきているという認識のもと、2017年からは『プライド・アムステルダム』という名称に変更された。

なお、2006年以降、毎年、テーマが発表されている。

    2006年「Rembrandt(レンブラント)」
    2007年「Music & Dance」
    2008年「Religion」
    2009年「Extraordinary」
    2010年「Celebrate」
    2011年「All Together Now」
    2012年「On The Move」
    2013年「Reflect」
    2014年「Listen」
    2015年「Share」
    2016年「Join」
    2017年「This Is My Pride」
    2018年「Heroes」

●参考サイト
『Wikipedia』
    「Amsterdam Gay Pride」
    「Pride Amsterdam」
    「Pink Saturday」
    「COC Nederland」

●『Reguliersdwarsstraat』 「History:Amsterdam Gay Pride」
http://www.reguliers.net/history-gaypride.php


■ホモモニュメントについて

「ホモモニュメント(Homomonument)」は、アムステルダムの中心エリア「ウエスターマルクト(Westermarkt)」に設置されている「同性愛者の記念碑」のこと(「ホモ(Homo)」はオランダ語で「同性愛者」を意味し、日本のように蔑称として使用されてはいない)。それは、高さ85m、アムス随一の塔のある西教会(Westerkerk)とケイザー運河(Keizersgracht)とのあいだのとても象徴的な場所にある。

第二次世界大戦時にナチス・ドイツは、ユダヤ人だけではなく、ロマ(ジプシー)や精神障害者らとともに、同性愛者も強制収容所に収容し、虐殺した。犠牲になった同性愛者たちを追悼する記念碑をつくろうという声は、第二次大戦直後から上がってはいたが、なかなか実現するには至らなかった。

1970年代に入り、ゲイ解放運動が盛り上がってきた1979年、ようやく、ホモモニュメント設置を目的とする財団が設立される。財団はホモモニュメントを、第二次世界大戦中に迫害され虐殺された同性愛者の追悼と同時に、現在もまだ抑圧され続けている同性愛者のための記念碑にもすべきだと考え、それを踏まえ、1980年に行われた審査によって、カリン・ダーン(Karin Daan)によるピンク・トライアングルに着想を得たデザインを採用することにした。周知のとおり、ピンク・トライアングルは、ナチスが強制収容所内で男性同性愛者を識別するために付けさせた胸章で、現在では、その負の記憶を逆手にとって、セクシュアル・マイノリティのプライドの象徴として使用されている。

ダーンのデザインしたホモモニュメントは、淡いピンク色の御影石でつくる、3つの正三角形で構成されている。そしてそれぞれ、「過去」「現在」「未来」を表している。第一の三角形は「現在」を象徴し、ケイザー運河沿いの道に接しており、三角形の先端が運河に突き出し、ダム広場の戦没者慰霊塔の方向を指している。「未来」を象徴している第二の三角形は、60cmの高さの一種のステージになっており、現存する世界最古のLGBT人権団体「COC Nederland」のオフィスの方角を指している。

「過去」を表す第三の三角形は、地面と同じ高さになるように埋め込まれており、その先端は、ナチスによって殺害されたユダヤ人の少女、アンネ・フランクの家(https://www.annefrank.org/nl/)に向けられている。この石には、ユダヤ系オランダ人でゲイの作家、ヤコブ・イスラエルデハーン(Jacob Israël de Haan/1881~1924)の「一人の若い漁師へ(Aan eenen jongen visscher)」という詩の一節「“Naar Vriendschap Zulk een Mateloos Verlangen”(これほどまでに途方もない友情へのあこがれ)」 が刻まれている。そして、この3つの正三角形は、それぞれ10mずつ離れた位置にあり、1辺36mのさらに大きな正三角形を形づくっている。

 

3つの正三角形の記念碑の部分のみを彩色した俯瞰写真。左上が60cmの高さのある「未来」。中央の運河に突き出しているのが「現在」。そして、右上の地面に埋め込まれているのが「過去」を象徴し、この3つの正三角形でさらに大きな正三角形を形成している。

 

 

「現在」を象徴する、ケイザー運河沿いの三角形。ダム広場の戦没者慰霊塔を指している。

 

高さ60cmのステージのような三角形は「未来」を表している。

 

地面に埋め込まれている「過去」の三角形。隣接する「アンネ・フランクの家」の方向を指している。

 

8月5日(日)、運河パレードの翌日、ホモモニュメントを訪れると、「過去」の三角形のところで「サイレントディスコ」を無料でやっていたので参加してみた。ワイヤレスヘッドホンをつけるとなかなかクオリティの高い音質で、ノリノリのダンス音楽が流れてきた。それに合わせて、ダンス・ダンス・ダンス! 外界の音とは遮断されているので、音楽そのものに対峙し没頭でき、麻薬的ともいえる音の快楽に、身体が自然に踊りはじめた。

 

カリン・ダーンのデザインが決定したあと、モニュメントの建設に必要な18万ユーロを調達するには8年の歳月を要したが、1987年9月5日、ようやくホモモニュメントは完成に至った。ナチスの犠牲になった同性愛者を追悼するモニュメントとしてはこれが世界で最初のものとなった。個人や団体からの寄付もあったが、その多くはオランダ議会やアムステルダム市などによってまかなわれた。

現在、5月4日の「全国戦没者慰霊の日」には毎年、このホモモニュメントにおいて、各政党、軍、警察、政府高官、市民団体の代表などが集まり、戦争の犠牲になった同性愛者の慰霊式典が執り行われている。もちろん、その日だけではなく、この場所は常に開かれており、LGBTQの人々が世界中からここを訪れ、花束を捧げ、写真を撮り、ハグをする。また、エイズで亡くなった方々を悼むためにも使われる。こうして、アムステルダムのホモモニュメントは、時にコミュニケーションの場として、時に内省の場として、あるいは、LGBTQの存在を祝福する場として、現在と未来をつないでいる。

 

ホモモニュメントのすぐ近くにある「ピンク・ポイント(Pink Point)」。LGBT関連グッズなどを販売している。

 

ピンク・ポイントで、「ホモモニュメント」に関する三つ折りのリーフレットの日本語版があったので購入。

 

●参考サイト

HOMOMONUMENT公式サイト
http://www.homomonument.nl/index.htm

カリン・ダーン公式サイト
http://www.karindaan.nl

『Wikipedia』
    「ホモモニュメント」
    「ピンク・ドライアングル」
    「ナチ強制収容所のバッジ」

 

取材・文/山縣真矢

 

アンネ・フランクの像とともに。