2018年夏(南半球は冬)。せっかく地球の裏側までやってきたので、番外編として、ペルーの旅のもようを2回に分けて、ちょっぴりご紹介。続いて「クスコ&マチュピチュ編」。

写真・文/山縣真矢

■クスコ(Cusco)

リマのプライドパレードに参加した翌朝、太平洋岸のリマから内陸へ飛行機で約1時間。インカ帝国の都のあったクスコに降り立つ。一日中雲が垂れ込めていたリマとは違い、一転して、空一面に最高密度の青色が塗り込められている。標高約3,400m。標高が1,000m高くなると紫外線量が約10%増加するそうで、つまり、海抜0m地点に比べて約40%近く紫外線が強いことになる。そんな紫外線をたっぷり含んだ陽光は、時に刺すように皮膚を焦がし、角膜を強く刺激する。この太陽の存在感があってこそ、インカ帝国において「太陽神」が最も崇拝されたのもうなずけるというものだ。そして、1983年にユネスコ世界遺産に登録された古い街並みを少し歩いてみると、程なく息が切れ、空気が薄いことを実感させられる。酸素量は海抜0mの約3分の2ほどだという。
人口約45万人のクスコの中心にあるのが「アルマス広場」で、広場の中央には「アンデス山脈のナポレオン」と後に称されたインカ第9代皇帝パチャクテク(在位1438~71)の噴水がある。そしてランドマーク的に、「カテドラル」と「ラ・コンパニーア・デ・ヘスス教会」が広場に面して建っている。このアルマス広場を取り囲むように、オレンジ屋根の石造りの建物が、密集してクスコの街に広がっている。

クスコの中心「アルマス広場」。奥が「カテドラル」、右手が「ラ・コンパニーア・デ・ヘスス教会」。

屋根のオレンジ色が美しいクスコの街並み。アルマス広場を中心に、石造りの建物が密集している。

正面は「ラ・コンパニーア・デ・ヘスス教会」。右手前に、レインボーの旗が掲揚されているが、よく見ると7色。この7色のレインボーフラッグは、古くインカ時代に由来のあるデザインだそうで、1978年からは正式に「市旗」として採用されており、街のあちこちで目にすることができる。

この日は日曜日ということもあって、アルマス広場では観光客のために、地元のグループによって民族舞踊が披露されていた。衣装にも虹色がモチーフに。

夜のアルマス広場。クスコの夜空は、まさに「最高密度の青色だ」。

クスコで食べた「クイ(天竺ねずみ)」のロースト。ウサギに近い味わいで、とても美味しい。

クスコの北西約60kmにある「マラスの塩田」。塩分濃度が20%以上の鉱泉から湧く水を棚田に引いて貯め、天日で水分を蒸発させ、塩を作る。

マラスの塩田に行く途中に立ち寄ったアルパカ製品店にて。天然染色、手織りでセーターやマフラーを作っている。

■マチュピチュ(Machu Picchu)

いつの日か、かの地へ。一生のうちに、一度は訪れてみたい。ずっと思い続けてきた憧憬の地、マチュピチュ。そのささやかな夢が、ついにかなう時がやってきた。
マチュピチュへは、クスコからタクシーで1時間45分走ってオリャンタイタンポへ。そこからペルーレイルの列車で1時間30分、マチュピチュ村に到着。そこで1泊する。ビリカノタ川(ウルバンバ川)とアグアス・カリエンテス川との合流地点に佇む山間の村。さすが世界遺産人気ランキング上位、マチュピチュ遺跡への拠点だけあって、世界各地からたくさんの観光客が訪れており、とても活気がある。実はこの日はサッカーW杯ロシア大会決勝トーナメント1回戦「日本vs.ベルギー」の試合の日で、ホテルに入ってひと息ついた頃にちょうどキックオフとなり、部屋の中で独り、歓声を挙げながらテレビ観戦した。結果はご存じのとおり。2ー0でリードした時には、「もしや!」と思ったが、そこは世界屈指の強豪国ベルギー(その後も勝ち進み3位に)。いわゆる「ロストフの14秒」で、惜しくも逆転負けしてしまったが、この日本のサッカー史に残る歴史的試合を、マチュピチュ村でテレビ観戦したことを、僕は一生忘れないだろう。
さて、サッカー観戦の後、この村には水着着用で入れる露天温泉があるというので、水着は持っていなかったが水着に見える下着を履いて入ってみた。「思えば遠くへ来たもんだ」と、翌日に迫ったマチュビチュへの思いに浸りつつ、ぬるめのお湯をゆっくり時間をかけて楽しんだ。夕食はホテル近くの川沿いのレストランで、地元のマスを使ったセビーチェを白ワインとともに。マチュビチュに、乾杯!

車両の上部がガラス張りになっているペルーレイルの「ビスタドーム」号に乗り込み、いよいよ出発。

マチュピチュ駅に到着。

マチュピチュ村。

マチュピチュ村の温泉。

マチュピチュ村での夕食は、マスのセビーチェと白ワイン。

マチュピチュ村の早朝。まだ薄暗い中、遺跡まで行くシャトルバスの乗り場へ行くと、すでに100mくらいの長蛇の列。とはいえ、次から次へとバスはやってきて、30分ほどで乗ることができた。そこから30分、つづら折りの道をバスは進み、ついにマチュピチュ遺跡エリアに到着。青空が広がり、天気も上々。標高は2,400m。クスコより1,000m低く、空気の薄さを感じることはない。 マチュビチュ遺跡エリアは入場制限があり、エリア入口では入場券を販売していないので、あらかじめ購入しておかないといけない。僕は3か月前にマチュビチュのウェブサイトで、遺跡エリアとワイナピチュのセットチケットをすでに購入済みで、特に問題なく入場することができた。
まずは遺跡エリアを突っ切って、ワイナピチュへ。マチュピチュは、遺跡エリアだけを観光する人がほとんどだが、その前後にそびえるマチュビチュ山やワイナピチュにも登ることができる。どちらの山も入山規制があり、事前予約がないと入れない。遺跡エリアからワイナピチュの頂上までの標高差は300m。距離はさほどないが、かなりの急勾配を一気に登る。日頃の運動不足もあり、後半は息も絶え絶えだったが、なんとか頂上まで頑張った。
その甲斐あって、ワイナピチュの頂上から見下ろすマチュビチュ遺跡は、まさに絶景。360度の大パノラマ。遠くには雪をいただく5000m級のアンデスの峰々がそびえているのが見える。旅行ガイドなどでマチュピチュを紹介する写真は、だいたい遺跡エリアに近寄ったもので、あるいはワイナピチュを背景に撮ったもので、その写真からはそれなりのスケールを感じ取ることができていたのだが、こうしてワイナピチュの頂上から俯瞰してみると、その遺跡エリアが実は意外にも小さいものだったということがわかり、大自然の中での人間の営みって、なんてちっぽけなんだろうと感じ入ってしまった。しかし一方で、こんなに高い山々の連なるアンデスの深い山中に、よくもこんな「空中都市」を築き上げたものだな、とインカ文化の偉大さをあらためて思い知るのだった。

 

ワイナピチュの頂上から、マチュピチュ遺跡を見下ろす。その向こうには、マチュピチュ山がそびえる。

遥か地球の裏側からここまでやってきて、この景色をずっとずっと眺めていたかったが、マチュビチュエリアの滞在には時間制限もあるので(午前と午後で入れ替え)、名残惜しくはあったがワイナピチュを下り、遺跡エリアへ。まずスタート地点の入場口まで戻り、英語と日本語のできるガイドさんを雇う。実はマチュビチュ遺跡エリア内は、ガイドの同行が義務付けられていて、また、順路も決まっており、逆走はできないことになっているのだ。
ガイドさんの案内に従って、途中、要所要所で写真を撮りながら、順路に沿って遺跡エリアを見てまわる。日時計や天体観測の石にしろ、石を加工し積み上げる技術にしろ、500年前に、こんな山奥に、こんな都市をよくも作り上げたものだと、その文明の技術力に感心しきりだった。

インティワタナ(日時計)。

 

天体観測の石。水を張って月や星の軌道を観測したとされている。

コンドルが羽を広げているような形の「コンドルの神殿」。手前は儀式に使われたというコンドルの石。

マチュビチュ遺跡エリアにはラマの姿も。

ワイナピチュを背景に、マチュビチュ遺跡エリアで記念撮影。

パスポートに押したマチュビチュのスタンプ。

午前中にマチュピチュを訪れた後、午後にはもう列車でオリャンタイタンボまで戻ってきた。濃くて深いマチュピチュでの1泊2日。マチュピチュを訪れるのは、これが最初で最後になるんだろうなあ。冥土の土産だね。来れて、よかった。