1960年代、軍事独裁政権下のブラジル。今のような自由のなかった厳しい時代から、異性装パフォーマー/ドラァグクイーンとして歌い、踊ってきたレジェンドたち。2004年、拠点としていたリオデジャネイロのヒバル・シアター創立70周年となる記念の年に、この劇場から巣立ったディーバたちが集められ、『ディヴァイン・ディーバ・スペクタクル』が開催された。そして10年後の2014年、デビュー50周年を祝ってレジェンドたちが再び集結したプレミア公演。長い間舞台の仕事からは遠ざかっていた高齢のディーバたちが、四苦八苦しながらステージを作り上げていく様子を、貴重な映像やインタビューなどを交えながら、カメラにおさめていく。
*2018年9月1日(土)よりヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次ロードショー

【スペシャル・インタビュー】

ディヴィーナ・ヴァレリア

Divina Valéria

『ディヴァイン・ディーバ』に出演している8人のディーバのひとり、ディヴィーナ・ヴァレリアさんが、映画の公開に合わせてブラジルから来日。女装パフォーマーで、この映画の字幕監修も務めているブルボンヌさんに、インタビューをしてもらった。

『東京レインボープライド』では、「プライドフェスティバル」のステージでの司会などを務めております、女装パフォーマーのブルボンヌでございます。

映画『ディヴァイン・ディーバ』は、ブラジルのドラァグクイーンやトランスジェンダー・パフォーマーのカルチャー黎明期を支えた人々を描くドキュメンタリー。1960年代、同性愛や異性装への偏見や風当たりが強かった軍事独裁政権下の時代から活躍した8人が、デビュー50周年を記念し当時の劇場に再結集しライブを行う姿を描いています。

このたび、出演俳優の一人であるディヴィーナ・ヴァレリアさんが来日。東京レインボープライドのホームページでインタビュー記事を掲載させていただくことになりました。

ブルボンヌ(以下B):ディヴィーナお姐様! よろしくお願いいたします。時期と国は違いますが、自分自身にも重なるテーマの映画に関わらせていただいて光栄です。今作ではゲイの女装パフォーマーの立場から字幕の監修も務めましたが、日本でも女装やドラァグクイーン、トランスヴェスタイト、オネエなど、いろいろな言葉があり、その使われ方で物議を醸すこともあります。ディヴィーナさんは普段、ご自身のことをどのように自称されているんでしょうか。

ディヴィーナ(以下D):私に関して言えば、私は自分を「アーティスト」と考えてるの。どこかのカテゴリーに当てはめる気持ちはないのよね。

:お気持ち、とても分かります。それでも字幕をつけたり、人に伝えるときには何らかの言葉を当てなければいけないもどかしさはあるんですよね。

:そうね。ブラジルでも「早変わり芸人」というような意味の言葉を使うこともあったり、いろいろな言い方がある。まあ、言葉は場によって使い分けているかんじかしら。

:本当に、ニュアンスを使い分け伝えていくしかないですよね。カテゴライズはさておき、ディヴィーナさんご自身が女性の装い、女装をし始めたのはいつ頃になるんでしょうか。

:まず、私は16、17歳の時に家を出たのね。ブラジルではカーニバル時期の舞踏会にはみんな、仮装をしたり好きな格好で参加するでしょ。家出した後、カーニバルに女装で参加するようになったのが最初。しばらくはそういうお祭りの時だけの女装だったわ。

:私も、やっぱりお友達たちとのクラブパーティーが女装デビューでしたね。非日常の空間を派手な姿で楽しみたい、というのはどこも共通ですよね。

:ブラジルでも当時まだ、男性が女性の服を着るということは、ほとんどなかったのよ。でもカーニバルの時なら何でもOKだったから、女性の姿になれることがものすごく楽しみだった。楽しくて楽しくてしょうがなかった。今はいつでもできるわけだけど、あの頃は1年間待って、やっとカーニバルで女装ができる。その日を待ち望んでいたのよ。

:社会の目が厳しくなければ、カーニバルじゃなくても、普段から女装をしたい気持ちだったってことですか?

:その当時はまだ若かったし、まだ舞台上での演者としての活動もしてなかったから、あくまで変身を楽しむものとしてカーニバルで女装していたわね。それ以外の時に自由に装うなんて、考えも及ばなかったわ。

:プライドが掲げる「LGBT」も、LGBは自分の対象の性の問題、Tは自分自身がどんな性だと感じるかの問題だと語られます。どこからが本当に女性になりたい状態で、どこからが特別な変身かというのは曖昧な面もありますよね。

:社会がいろんな名称を考えて、カタログのように分類しちゃってるだけよね。私自身は、みんな同じ家族のようなものだと思っているの。それがバイセクシュアルであろうが同性愛であろうがトランスジェンダーであろうが、本当は違いがあるとは思っていないのよ。自然が私たちをこのように作った、それぞれのありのままだと思っています。

:すごくステキな言葉です! ただあえてそこにこだわらせていただくなら、たとえば女性の装いをする中でも、パートタイムのメイクや衣装だけの人もいれば、ホルモン治療をする方、肉体の形を変えるオペをする方、いろんなスタイルがありますよね。私もこのタイツの下はすね毛ボウボウで、ゲイのおじさんのドラァグクイーン寄りのパフォーマンスなんですが、友人の中にはホルモンを使うようになった人もいる。ディヴィーナさんの仲間うちでは、そうした立ち位置の違いはお互いに意識されたのでしょうか。

:一人一人、自分であっていい。だからお互いが何をどこまでするかも、それぞれ尊重するわ。自分が自由に選択したものを受け入れるだけであって、こうでなければという意識はなかったわね。手術をすることを選ぶ人も、それはその人が好きにした選択。私自身は、当時は豊胸用のシリコンもない時代だったし、女性ホルモンを使っただけ。それだけでもある程度胸が膨んで、女性的なボディラインができた。どこか別の国まで行ってシリコンを注入した人もいたけど、私たちの時代の仲間にはあまりいないの。実は『ディヴァイン・ディーバ』出演の8人には、外性器の性別適合手術をしている人は一人もいないのよ。私も今では、ホルモンをもう何年も使っていないしね。

:そうなんですね! ちょっと意外でした。

:私たちはみんな「ホルモンの時代」の仲間だからね。たいていホルモンは経験していると思うわ。あくまでやるやらないは自由だけど。

:ディヴァーナさんからしたら「なぜそんな差異にこだわるの?」と思われるような質問でしたよね。日本は周囲の理解を気にしがちな傾向があるので、性的少数者の中でも言葉や区切りを求めてしまうことが多いんですが、ディヴィーナさんのおっしゃる大きな目線を忘れないようにしたいと思います。さて、カーニバルで女装を始めたディヴィーナさんはその後、アーティスト、歌手活動でそれを本職の装いとされたわけですよね。

:デビューしてすぐにアルバムの話が出て、最初のジャケットは女装と男装の両方の写真がデザインされたものだったの。その後フランスへ渡って、そこでは24時間、女性としての自分で生活したわ。以降は女性の装いで暮らしてますよ。

:フランスで常に女性として過ごすようになった時は、気持ちの変化みたいものがあったんですか?

:フランスでは、一緒に舞台で仕事をした人たちや仲間が、みんな常に女装をしていたのよ。24時間、女性としてのアイデンティティを持っていた。私自身、ブラジルの時みたいに日中は男性の装いで夜や仕事の時だけ女装って使い分けるのが面倒くさくなったし、本当に自分が快適に感じられるのは、女性の装いの時だったのよね。内側は何も変わってないんだけど。

:当時はフランスの社会のほうが、24時間居心地が良い姿でいられる空気だったということでしょうか。

:ええ。フランスでは異性装への違和感をあまり感じなかった。ブラジルは、当時はまだ法律でも認められていなかったくらいだもの。社会が私に着るものを強いるような環境であれば、男性のものを着るかもしれないけれど、私の中そのものは何も変わらないのよ。

:社会の圧力といえば、ブラジルの軍事政権下のお話も映画の中で出ていますが、逮捕されたりの厳しい出来事も多かったんですか?

:そうなのよ! 本当に大変だった。異性の服を着るだけで逮捕されちゃうくらいだったのよ。私も逮捕されたわ。

:以前、私も日本の女子バレーボールの応援をするテレビのお仕事をした時に痛感しました。派手な女装で選手を待っていたんですが、対戦国がケニアだったんですよ。先にケニアの選手の皆さんが私の前を通った時に、全員が極悪人を見るような憎しみと侮蔑の目で私を睨んできて、一生忘れられない感覚を味わいました。ケニアでは同性愛は重罪、隣の国では死刑なんですよね。社会の法律や常識によって、そこに住む人が抱く感情はまるで変わるんだと痛感しています。国や時代が違えば、私たち二人とも「罪人」なわけですね(苦笑)。

:そういう国の名前は書いとかないとね! 行かないようにしなきゃ(苦笑)。

:違法な時期のブラジルでもしっかりと「私は私だ」と思えた、ディヴィーナさんの強さの理由はなんでしょうか?

:私がたくさんの障害があっても負けずに突き進み、そして自分の理想のために闘うことができたのは、やはり、「神様」によって守られ、力を与えられ、導いてもらえたからなんだって信じています。

:信念を支える存在は大切ですね。日本では、自分自身の想い以上に、周りの空気を気にしてしまい苦しむ人も多い分、ディヴィーナさんのその強さがなるべく伝わってほしいと思います。

:私は1971年に日本に来ていて、8人の女装仲間と一緒に全国各地でショー公演をしてるのよ。当時だってそんな雰囲気は感じなかったんだけど。ショーは大成功で、すごく歓迎されたのにね。

:多分、テレビや舞台の特別な人を観てる分には楽しくていいけれど、身近な人や親族にいるなんて考えもしない、という人がまだ多いからかもしれません。

:まあその問題は、世界中どこも同じかもしれないわね。ただ、ブラジルに関して言えば、昔よりも今のほうがよっぽど受け入れられてる。もちろん家族の中でもね。日本では、そうでもないの?

:いえいえ、日本でもここ10年くらいはかなり空気が変わっていますよ。ブラジルのように、同性婚や手術なしの性別変更が法律で認められているわけではありませんが、変化はしています!

:そうなのね。ぜひ変わってほしいと思うし、急いだほうがいいかもしれないわね。世界なんていつ滅亡するか分からないんだから!(笑)

:そうした世界的な時代の移り変わりの中、数十年ぶりに同窓会のように皆さんが集まった過程がドキュメンタリー映画になったわけですね。作品の中でも、ショーが始まる前のディヴィーナさんの「今から泣いちゃいそうよ」という言葉が印象的でしたが、やっぱり仲間が集まったことで大きな喜びや感慨があったんですよね。

:そりゃそうよ! とても素晴らしいものだったわ。アーティストになる前、大昔からの知り合い同士だもの。それぞれが活躍を続けていて、久しぶりに再会できて、自分たちの人生を記録として残せる機会を得た。最高に嬉しかったし、感動する経験だわ。何十年かぶりで、何ヶ月も一緒に過ごした時間。でも撮影が終われば、それぞれの人生とリズムに戻っていくの。みんな、当時のようにそばに居続けるわけじゃない。だからこそ、とても貴重な時間なのよ。

:映画の中での思い出話で「あの時はあんたのせいでオッパイがバカでかくなったわよ!」なんて話してるシーンが楽しくって。どこの国も気心知れたオネエさん同士のツッコミ合いはあるんだなぁって。今も、戦友のような気持ちで、映画でご一緒した仲間たちを大切に思われてるんですね。

:そうね。人はそれぞれの歩み方があるし、自分らしい生活や在り方がある。でも、同じファミリーの仲間だと思ってるわ。

:本当に! 時には小競り合いをしても、大きなつながりも感じていきたいです。さて今日は、ブラジルに比べると、より周りの目を気にしがちな日本のムードや、まだ整っていない法整備についてもお話しましたが、最後にこの映画を通して、日本の皆さんに伝えたい想いをあらためて伺っても良いですか。

:この映画を見た皆さんが、社会の見方を変えて、新しい意識が広がっていくことを願ってます。確かにブラジルはずいぶん自由になってきたけど、それでもこの映画が公開されたことで、私たちへの目線が変わったところもある。私たちがいろんな試練や社会状況の中で、必死に自分の夢を追いかけて、理想を実現しようと頑張った、同じ一人の人間なんだってこと。誰かに害を与えようなんて全く思っていない、自身の尊厳や人間らしい感情を持って生きているんだって分かってもらえた。私たちのような異性装者でなくても、人が自分らしい人生を求めて頑張るのは、ステキなことでしょ。日本でも、そんな当たり前のことが伝わると良いわね。

:ディヴィーナさんの素敵なメッセージを、日本の皆さんに届けるお手伝いをできて光栄です。ありがとうございました!

■『ディヴァイン・ディーバ』

監督・脚本:レアンドラ・レアル
出演:ブリジッチ・ディ・ブジオス、マルケザ、ジャネ・ディ・カストロ、カミレK、フジカ・ディ・ハリディ、ホジェリア、ディヴィーナ・ヴァレリア、エロイナ・ドス・レオパルド

  • 2016年ブラジル/ポルトガル語/110分/原題Divinas Divas』/字幕:比嘉世津子/字幕監修:ブルボンヌ/配給:ミモザフィルムズ
  • 公式サイト:http://diva-movie.jp
  • © UPSIDE DISTRIBUTION, IMP. BLUEMIND, 2017