「読書会を主宰しています」と自己紹介すると、突然相手から「私、実は、翻訳小説が苦手で、読めないんです」というカミングアウトされることが多いです。いつもは「へ? そうなんですか、まあ、いんじゃないですか?」とか言っちゃうんですが、大変失礼な返事だったなと、反省しています。そのことについて、今回と次回で、真面目に、どうにかその悩みが解消されるようなことを、提案したいと思います。

大きく4つのポイントがあると、考えました。

1)翻訳小説が苦手なのは、問題ではない。
少なくとも私は、初対面の人に「海外の小説を読め!」とか言ったことないですし、顔にも書いてないはずですし、なのに相手が思わず吐露してしまうってことは、当事者は本当に悩んでいるのでしょう。海外の小説が読める人より、海外の小説が読めない人は、劣る存在である、と。私は堂々とここに、宣言します。違います、と。1つめ、終わり。

2)声に出して読む
もしかして、あなたは、翻訳小説を黙読しようとしていませんか?
小説は、文字である前に言葉です。文字は言葉にとって必要条件ではありません。日本語の場合、本質は、あなたの鼓膜を震わせる、空気の振動です。発話のスピード、間、ジェスチャーや表情、飛んでくる唾などとの合わせ技も重要です。文字だけからの想像では補いきれない部分もあるのかもしれません。
音読すると、登場人物の息づかいや、語り手が気になって何度も繰り返している言葉、場面の転換などがよくわかります。誤植や、辻褄の合わない誤訳もよく見つかります。そうそう、結構「登場人物の名前が覚えられない」っていう悩みも解消するもんですよ。 現代の日本語で書かれた小説は、黙読用に書かれているという話を聞いたことがあります。日本語で書かれた小説を読むときと、翻訳小説を読むときは、ちょっと違う方法で読む必要があるかもしれません。

3)自分に合った翻訳者を探す
まあ、そんなこと言っても、なんだか自分と相性が合わない日本語っていうものは、残念ながら、あります。いろいろな翻訳者の小説を読んでみる。翻訳者で本を選ぶというのも、とても有効な手段だと思います。
いろんな翻訳者さんによる翻訳比べができる作品は、英語圏では『ピーターラビット』とか『赤毛のアン』とか『宝島』とか、フランス語圏でしたら『星の王子さま』が人気ですね。

読書好きな人に尋ねるのだけは、オススメできません。だって、あなたにぴったりの翻訳者を探しているんだから、他人の意見は、あんまり参考にならないと思うんですよ。

ちなみに、私がオススメする翻訳者は、栩木伸明先生です。アイルランドの詩とかを訳されている方なのですが、短編集とかもあります。ウィリアム・トレヴァーの短編小説集で、初めて栩木先生の翻訳を読んだときに、日本語が綺麗すぎて、「…これは…原文がすごいのか…、いや、日本語が原文を凌駕しているような気がする…」と感動しました。ぜひ多くの人に体験してほしい! 超!オススメです!

4)その土地の宗教・信仰を知る
もしかして、あなたは、海外小説が苦手なのではなくて、その土地の文化や宗教を知らないだけかもしれません。

宗教の勉強をしないと小説読めないの? と思うかもしれませんが、はい。そうです。
宗教は人間の生活にとってすごく大事なものなんです。
日本人の7割近くが無宗教と言われていますが、多くの日本育ちの方は、靴紐を結ぶためにお地蔵さんにかかとを置いたり、墓石にホースで水をかけて掃除したり、古いお守りを生ゴミと一緒にビニール袋に入れることに対して、抵抗を感じると思います。そう、それが宗教です。
作者も気づいていなかったり、当然読者もその価値を理解していると思っていたりするので、小説の中で、きちんと文字になって書かれていないことが多いです。読者が頑張って、行間から感じ取らなければいけない。しかし、そのためには知識が必要です。

そして聖書やコーランや神話は、親から子へ、子から孫へと語り継がれてきた物語です。その共通体験の上に、現代のいろいろな物語が成り立っているということです。
例えば、日本語で言えば、「お赤飯」と聞いたら、現代の生活で最も頻繁に見るコンビニのおむすびのことではなくて、お祝い事でもあるのかな、と思うでしょう。狐と狸がセットに思えるのは、「人を化かす」という共通点があるからですが、現実の狐と狸はそんなことしませんし、うどんとそばのカップ麺のことでもありません。「どんぶらこ」と川を流れてくるのは、絶対に、大きな桃です。もし、柿だとしたら、「桃ではなくて、柿!」というメッセージを含んでいるんです。そういうことが、人が住んでいるところには、たくさんあるってことです。

さて、世界の人口の半分以上を占めると言われているキリスト教とイスラム教の大きな特徴は、「一神教」だと思います。実はこれ、私もよくわかっていません。
数年前のことですが、一神教徒の方に「日本はたくさん神様がいるんでしょ?」と聞かれたことがありました。八百万(やおよろず)の神がいるとか言う時もあるよと答えたら、彼は「1人の神に頬を叩かれたら、800万の神に叩かれると言うことなのか! 大変だ!」と驚いていました。その時、私も、ええええ! 神様が一人ってそういう感覚なんだ! と非常に驚きました。
私も、まだまだ勉強中。海外の小説を読むと、ん? ユニコーンって……テディベアみたいなもの? 多様性の象徴なの? どうして? いつから? とわからないことが増えていきます。
正しい知識云々ではなくて、それぐらい遠くの場所の話を読んでいるんだということを知っている、というのがポイントだと思います。

さて、今回ご紹介するのは、レベッカ・ブラウン『体の贈り物』(新潮社)。翻訳者の柴田元幸先生は、数多くの作品を翻訳しており、村上春樹の翻訳サポートも務める方です。この本、銀だこ8個入りより安い。
主人公は、ホームケア・ワーカーとして、エイズ患者の世話をする女性。彼女と、患者の交流を描いた、短い11章からなっています。
80年代にエイズが確認されたアメリカでは、当時のレーガン大統領の無知と偏見によって、爆発的に感染者が増えます。この本が執筆された1994年、エイズはまだ、死の病でした。ほとんどの州で同性間の性行為が違法であり、感染者が出るとそのアパートがパニック状態になるという時代。
「自分はもうすぐ死ぬ」と思ったときに人は、さまざまな方法で生にしがみつこうとする。その様子を、レベッカ・ブラウンは、愛をもってしっかりと見つめ、とても静かに、平易な文章で描写しています。彼女の愛は、日本語に翻訳しても、時代がかわっても、どんなに遠くに居ても、読者の心を大きく揺さぶります。
レベッカ・ブラウンの作品はいくつも柴田先生によって翻訳されていますので、是非他の作品も読んでいただきたいです。

レベッカ・ブラウン『体の贈り物』(新潮社)

ううーん、やっぱり、自分にはまだ翻訳小説は早いかもしれない、と思う方には、村山由佳『遥かなる水の音』(集英社)はいかがでしょうか。
若くして亡くなった周(あまね)の遺言を叶えるため、その姉と、弟と同居していたフランス人のゲイ、弟の親友カップル、イスラム教徒の案内人が、サハラ砂漠を目指す物語。さまざまな愛の形が交差しながら、それぞれが、周の死と自分の生に向き合います。 村山由佳も多作な方。特に2009年以降の作品が大変、評価が高いようです。

村山由佳『遥かなる水の音』(集英社)

「どこか遠く」の話にも、あなたの心に響くものがあると思います。何かピンと来るものがあれば、嬉しいです。是非手に取ってみてください。次回も、翻訳小説が苦手な方へ、オススメしてゆきたいと思います。題して、「近すぎてよく見えてないかもしれない物語」です。

■ティーヌ
レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー、ノンセクシャル、アセクシャル など、セクシャル・マイノリティと呼ばれる人々が登場する小説を応援する会、読書サロンを主宰。月に1回、都内で読書会を開催。

バックナンバー