さて、前回「遠く離れた場所の物語」では、翻訳小説が苦手な方のために、4つの問題解決の方法を紹介しました。1)翻訳小説が苦手なのは、問題ではないと思うこと。2)小説を声に出して読むこと。3)自分に合った翻訳者を探すこと。4)そして、著者の宗教や信仰の特徴を知ること。どうでしょう、試してみた方いらっしゃいますか? 効果あったでしょうか。
 今回は、続きまして、もっと簡単で素早い解決方法を考えましたので、紹介したいと思います。

5)最初に、巻末のあとがきと解説を読む。
 まず「こういう話です」というネタバレを確認してから読む、ということです。世の中には、解説に殺人犯とか物語の結末までは書かない、という親切な巻末もあります。そうじゃなかったときのことは何も保証できませんが...。
 著者による「あとがき」は、日本語版の読者への挨拶と関係者への感謝しか書いてないこともあるんですが、この小説を書いているときにこんなこと考えていたとか、ある事件を知ってこの物語を思いついたとか、作品を理解するのに重要な情報を書いてあることも多いです。そして、著者以外の人が書いた「解説」や「翻訳者あとがき」というのは、基本的に、この小説が素晴らしい理由を書いてくれているのです。つまり、数百ページの小説の中で特に大事なところココです、と赤丸を付けてくれているのです! 押さえとくべきポイントを知った上で、それを読み飛ばさないように読むと、するするぺらぺらと読み進められます。
 ちなみに私も、初めて読む作家の小説とかは、本屋であとがきと解説を立ち読みしてから買います。「この本どう? 面白いの?」という心の中の質問に、翻訳者解説はいつも「最高! 買いだね!」と返事をくれます。

 時々、小説本編だけじゃなくて解説の分もお金払わせてくれ、と感動するぐらい素晴らしい解説に出会うことがあります。胡淑雯『太陽の血は黒い』(あるむ)には、三須祐介さんによる「訳者あとがき」があり、そこで台湾の歴史、台湾と日本の関係、台湾のLGBT文学の歴史、台湾のLGBTの現状などが簡潔にまとまっています。必読です。新書を読むほど本気で知りたいわけじゃないけど、この小説を楽しむために必要十分な情報がほしい、という欲張りな読者に応えてくれるのは、本当に感謝しかないです。ありがとうございます!

胡淑雯『太陽の血は黒い』(あるむ)

6)登場人物に感情移入しない。
 登場人物の気持ちを想像したり共感したり感情移入することが、小説の楽しみ方だと、いうことはありません。小説の楽しみ方に「正しい方法」はありません。
 サスペンス小説を、殺人犯の気持ちになって読むのはなかなか困難です。どうせ最後には捕まるだろうしね。そもそも十年以上も一緒に住んでいる両親についてすら、我が子が同性愛者だということを受け入れてくれるかどうかをキチンと予想できなくて不安になったりしているのに、たった数時間の付き合いの小説の登場人物の気持ちなんか、わかる訳がありません。無理無理!

 それ以前に、「書かれていることを正しく読む」というのはあります。例えば「彼女は泣いた」とか書いてあるのに「彼女は泣いていない」と読んだり、「桜が満開だ」とか書いてあるのに「物語の舞台は夏だ」と理解するのは、間違いです。ですが、「佐藤と田中の目が合った」と書いてあるのを、「実は、佐藤は田中に長年片思いしていたんだけれども、鈍感な田中はずっと気づいていなかった。ここは、佐藤の想いに田中が気づいて応えた瞬間だ。この後のシーンから二人は恋人同士」と解釈するのは、正解です。「偶然目が合っただけだ」という解釈も、正解です。書かれていないことの想像については、正解が無数にあります。こういう読み方は、時間もエネルギーもかかります。
 著者の意図や登場人物の気持ちを想像するのを止め、まずは、書かれている事実だけをきちんと追うことに集中してみてはどうでしょうか。1回読んだだけでは気づけない「書かれている事実」もあります。何度も同じ小説を読むのも楽しいものです。

 さて、今回は上記の充実した巻末と、「書かれている事実」を追うのでいっぱいいっぱいという点で、ファン・ジョンウン『野蛮なアリスさん』(河出書房新社)を紹介したいと思います。
 毎日のように母から暴力をふるわれ、夢を追ってばかりの年老いた父には無視され、異母兄弟にも嫌われ、お金儲けに取り憑かれた人たちから蔑まれながらも、アリシアと弟はしぶとく生きています。子犬を産むためだけに飼われている食用犬の雌に、自分の境遇を重ねながら、怒りと絶望の時間が過ぎるのを待つ。大規模な都市開発と、多額の助成金制度に翻弄され、故郷も家族もなくしたアリシアは、今、女装ホームレスとして、四つ角に立っています。
 実際に韓国であった都市開発と、その立ち退き助成金を巡る事件を背景に、この小説は書かれています。絶句するしなかい環境、強烈なアリシアというキャラクターに加えて、罵詈雑言と暴力が紙面にあふれ、共感のスイッチを切らないと、とても文字を追うこともできません。
 著者あとがきによって、このアリシアというキャラクターが、著者が大阪で見た実在の女装ホームレスをモデルにしていることが分かります。異国の社会制度、異国の問題、異国の話ではありません。私たちの家の最寄り駅に、通勤路に、行きつけのカフェの裏手に、アリシアは居るのです。

ファン・ジョンウン著/斎藤真理子訳『野蛮なアリスさん』(河出書房新社)

 そして、翻訳の斎藤真理子さんは、飛ぶ鳥を落とす勢いという表現がまさにぴったりな方です。ものすごいスピードで、素晴らしい韓国小説を翻訳しています。翻訳の質を問う「日本翻訳大賞」という賞があるのですが、パク・ミンギュ『カステラ』(図書出版クレイン)という作品で共訳者と一緒に受賞されています。今年の第五回日本翻訳大賞には、斎藤真理子さんが翻訳を手がけた小説が3作品、ハン・ガン『すべての、白いものたちの』(河出書房新社)チョ・ナムジュ『82年生まれ、キム・ジヨン』(筑摩書房)チョン・セラン『フィフティ・ピ−プル』(亜紀書房)がノミネートされています。今こそ読むべき作品たちです!

 なるほど本の読み方はなんとなく分かったので、日本人の作家を教えてという方には、伏見憲明『百年の憂鬱』(ポット出版)はいかがでしょうか。明治生まれの松川と、昭和生まれの義明、平成生まれのユアンの3世代のゲイの愛と憎しみの交差し合う物語。背景には、松川の語る、新宿二丁目がゲイタウンとして栄えてきた歴史があります。時代が変わるということは、人が変わるということ。お互いに分かり合うことはできるのでしょうか。もうすぐ新元号が発表されますが、私たちはどんな時代が作れるでしょうか。楽しみですね。

伏見憲明『百年の憂鬱』(ポット出版)

 さて、2回にわたって翻訳小説が苦手な方向けに、いろいろと書いてきましたが、いかがでしょうか。まだ読めない、自分の原因はコレだと思うんだけど、という方は是非、教えていただければと思います。私も、十年以上小説なんてぜんぜん面白くないと思っていた人間です。良いタイミングで、良い作品に出会うことを、全力で応援します。良いタイミングとは、「なんか小説読みたい気分かも」と思った時です! 良い作品とは、あなたが「好き」と思った作品です!

■ティーヌ
レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー、ノンセクシャル、アセクシャル など、セクシャル・マイノリティと呼ばれる人々が登場する小説を応援する会、読書サロンを主宰。月に1回、都内で読書会を開催。

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