前回は、日本で「禁断な」表現は何かということを書きました。簡単に大事なことをまとめますと、年齢制限などの自主規制は、いずれもメーカーや販売店を縛るものです。読者の行動を制限するものではありません。そして、その規制が本当に必要なのか、どのような形が良いのか、という批判は常にあるべきだと思います。

また、刑法で罰則対処になっている「猥褻物」の販売や陳列については、取り締まるルールは明確になっていません。だから決して、警察に注意されたから完全に悪、ということではありません。注意されたことを無視するのは良いことではないと思いますが、「具体的に何がいけなかったのか」「どうやって2回目の注意を防ぐのか」といったことを、話し合うことが必要だと思います。私たちは、専門家を除いて、学校で「法律によって何が禁止されているのか」「どうしても法律を破らなければいけない状況になったときにどうすればいいのか」といったことを習っていません。なんだか漠然と、他人に迷惑かけるな、とだけ言われていることが多いと思います。

でも実際、罪を犯してしまう人は、多くの場合、他の選択肢がないと思ってやってしまうのだと思うのです。この社会に生きている人は、私だって、誰だって、いつだって、違法とされることをしてしまう可能性があります。あるいは、不幸なことに、いま、逮捕されていないだけかもしれません。

人間が複数人、一緒に生きてゆくためには、いくつかの約束事が必要です。でも、社会との関わり方がわからない、という悩みは、多くの人が持っていると思います。だって、学校でも教えてもらってないしね!

多くの人が、「大人の庇護のもと安全に、ちょっとルールを破って、怒られる」ということを繰り返して体得してゆきます。怒ってくれる大人がいないと、ずーっとルールを破りっぱなしで、社会性は身につきません。また、犯罪を犯しているわけでもないのに大人に怒られまくって生きてきた人も、同様に、本当に守らなければいけない社会の約束は何かを、知ることができません。また、大人だからって、必ずしも子どもよりも社会のルールを知っているわけではありません。

幸運なことに、日本には、警察以外に相談窓口がいっぱいあります。いのちの電話でも、救急相談センターでも、無料法律相談所でも、会社の産業医でも、子ども110番の家でも、どこに相談してもいいんです。ひとりでめちゃくちゃ悩んで悩んでもう打つ手が無い、と思っていても、誰かに相談するとあっさり解決したりすることもあります。

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