まず、表現規制のなかでも最も知られているのは、放送禁止用語でしょうか。「かたわ」とか「乞食」とかの、テレビやラジオなどで使ってはいけないとされている言葉たちです。『記者ハンドブック』や『編集ハンドブック』などにも、避けたほうが良い表現や、差別用語なので使わないように、とされる語彙リストが掲載されています。しかしながら、これらのほとんどが、自主規制です。企業の中で、あるいは電波法などで放送局を縛るものであり、一般の人たちの表現を規制するものではありません。
「ぶっ●す」とか「●ね」などの伏せ字については、意味が通じてしまえば、それは普通の言葉です。この単語は伏せ字にせよと何かに書いてあるわけではありませんし、問題が起きたときに全く法的な根拠はありません。
それから、「成人向け」「R-18」「PG-12」など、映画やアダルトビデオや漫画などでよく見かけると思います。こちらは、映像メーカーや出版社などでつくる自主規制団体によるものです。もちろん自主的な団体なので、それらに属していないメーカーの、審査されていない作品が違法だというわけではありません。
自主規制団体が何をしているかというと、性器やグロテスクな描写にモザイクをかけようとか、未成年者の目に触れないように封をしようとか、そういった対策を考えることです。何度も言いますが自主規制なので、それを守らなければいけないということはありません。また、モザイクをかけろという法律があるわけではないので、自主規制団体の審査が通った作品でも、「猥褻」とされて作者や関係者が逮捕される事件もあります。
「猥褻」の基準は、時代によって大きく変わっています。かつてテレビは裸体もモザイクなしで放送していたとか、そういった話を聞いたことがあるかと思います。逆に、「春画」はかつて販売が禁止されていましたが、今は出版しても美術館で展示しても問題ありません。なぜでしょう。実は、理由ははっきり分からないのです。1970年代に「猥褻物」とされ修正を余儀なくされたマルキ・ド・サドの『悪徳の栄え』は、1995年に完全版が発売されますが、なぜ今裁判が起きていないのか理由ははっきりしません。全国各地にある男性器や女性器を模した偶像やお土産は規制されたことはありませんが、美術館で男性器や女性器の写真を展示すると警察の指導が入ることがあります。
何が「猥褻」であるかと言う議論は、議会や裁判の記録、いろんな団体と警察とのやりとりの記録がたくさんあります。それほど曖昧なものだということです。真剣に読むと、とてもおかしな議論が展開されています。肛門は性器じゃないから、肛門にモザイクを欠ける必要はないが、ものを挿入したりして性器として扱う場合はモザイクを入れる。じゃあ口はどうなるの? それから女性の乳首は隠すけど男性の乳首は隠さなくても良い。女装の男性の乳首は隠したほうが良い。じゃあ男装の女性の乳首はどうなるの?
誰かの表現を、他者が規制するというのは、それほど難しいものなのです。これは規制しよう、と満場一致になるようなことはまずありませんし、いくつかの規則だけで人間の表現の全てを制限することはできません。「誰かにとって心地よい世界」を押しつければ、常に「他の誰かにとって居辛い世界」になり得ます。
自分以外の人々の生活を知り、自分とは全く違う価値観を知るために、私たちは、誰かの物語を読むことができます。